プロを諦めた 2 人がスポーツビジネスの世界で成す、セレッソ大阪の「駐車場革命」とは(後編)
2018年8月31日 06:10配信
プロサッカー選手を断念した2人
—少し話はそれますが、おたがいにプロサッカー選手を目指していたということで…。セレッソのU-18でプレーしていた赤堀さんは、自分が選手として大成したかったという想いはあったのでしょうか?
赤堀:もちろんあります。今でも一緒にやっていたメンバーが戦っているので、悔しいではないですけど、そういう気持ちはあります。ただ、それがモチベーションにもなりますし、将来10年後、20年後には自分のほうが…とは思っています。僕はもともとセレッソが好きでサッカーを始めたので、このクラブでしっかりとした立ち位置を築きたいですね。
—プロはどのタイミングで諦めたのでしょうか。
赤堀:高3の時にプロになる、なれないというジャッジをされるんです。それまではトップチームのの練習にも行っていて、山口(蛍)や丸橋(祐介)とトップの練習に参加していました。
そこでそれなりにやれた感触はありました。
ただ、僕の中でのポイントとして、夏にU-18の全国大会があって。その時に活躍すれば夏の昇格の是非が発表されるので、プロに上がれるというストーリーがありました。その大会の活躍度が評価される基準の一つ。ただ、色々な思いやプレッシャーからか分からないんですけど、調子が悪くなってしまったんです。
そこから、全国大会でスタメンを外れたんですよ。開幕戦は出たんですけど、2戦目でスタメンを外れて、目標としていた活躍してプロになるという理想を失って、3戦目もベンチに座っていました。案の定、それが終わってからクラブの人に言われたのが「プロになるレベルではあるけど、絶対にプロになるという気持ちがまだ感じられなかった」と。そこで大学進学してどうなるか、ということでしたが、大学でもあまり活躍ができず、諦める形になりました。
金谷:私は高校卒業後の4年間は関西社会人リーグでプレーをしながらプロを目指していました。高校の時は相手も体が出来ていないので、フィジカルで通用していた部分があったんですけど、社会人になるとそれが通用しなかった。そこから体を絞ってスピードで勝負しようとも思ったのですが、同時にそれで無理だったらプロを諦めようとも決めたんです。リミットは22歳。同じ歳の人が大学を卒業するタイミングでプロになれなければ諦める、という形です。その中で知り合いの人に紹介してもらってザスパ草津のチャレンジャーズチームに練習生として行きました。その中でトップチームの人が参加することもあったのですが、普通にはやれるんです。だけど、何か決め手に欠けていたんです。僕が目指してた“世界一”にはなれないな、と。だったら起業のほうが世界一になれそうだと思ったので、サッカーの道を諦めました。だから、未練はありませんでした。
—そこから起業とは、だいぶ振りましたね。
金谷:サッカーをやっていた当時、僕はフリーターで、その中で生きていかないといけなかった。だから、色々なことをしたんです。雨が降ってきたら100均で傘を10本買っていって、1本300円で売る。これを何回も繰り返して、1日で9,000円儲けるとかですね(笑)。花火大会があるときには40円のジュースをたくさん買って、箱に氷を詰めて150円とか 200円で売る。それで1日2-3万円稼いで生きていました。
それをやっていると『納税しないといけない』ということを言われたので、本を読んで税務署に届けるだけでいいのかと思っていたんですけど、よくよく見ていくと800万円以上の利益が出ると法人のほうが良いということを知ったんです。その中でまた更に調べていって、起業という言葉を知りました。様々な本を読んで起業の面白さにも自分は向いているなと思ったんです。そして今に至る、と。
—赤堀さんはどのようにセレッソヘ戻ってこられたのですか?
赤堀:プロサッカー選手を諦めて何をしようかと考えた時に、自分の人生を振り返ったら、サッカーを始めたきっかけはセレッソだったんです。だから、そこで働けたらすごく幸せだし、毎日を 100 パーセントやり切れると思ったので、戻りたいと思いました。そのために当時の高校のコーチに電話をして、「なんとか社員にしてくれないか」と言ったんですけど、『ノー』でした。
ただ、しつこく3回くらいやり取りをしている中で、『スクールコーチのアルバイトからのスタートだったら良い』と言われたんです。そこで、2年くらいは子供から大人までサッカーを教えていました。そこの頑張りを評価されたのか、会社の方に引っ張ってもらえたんです。
—金谷さんは最初の2年間は企業に勤めていましたが、最初から起業という考えがあった上で、ですよね。
金谷:先にも言った通りで、サッカーを引退すると決めた時は、起業しようと思っていたので。2年はまず世の中のことを知ろうと思って、とりあえず研修がしっかりとしていそうなところを探しました。サッカーをし続けていた中で世の中のことを知らなかったので、上場企業で研修がしっかりしていそうなところを検索しました。ただ、就活の仕方を知らなかったので、飛び込みで行っていたんですよ。履歴書を持って行って「雇ってください!」と。
その中で偶然に新卒が内定を辞退した会社があって、入れてもらうことができました。『営業を募集しているし、お前みたいなやつ良いかもな』と言われて。そこから2年間働きました。
長居でヨーロッパのような雰囲気を
—最後になりますが、このスポンサー締結でスポーツ観戦における利便性が上がると思います。お二人が思う理想のスタジアム像を教えてください。
赤堀:この前に研修のような形でドルトムントのスタジアム に行きました 。あそこは毎試合8万人が入るんです。ドイツではサッカーが文化になって、週末になると街の人がみんな来るので、そこが1つの理想です。今、うちのキンチョウスタジアムで同じことができるのかというと、西日が眩しかったり、雨に濡れたり…という点でどうしても足を運ぶことにリスクがある。今、改修プロジェクトを行っていて2020年完成の予定なのですが、そこでは屋根があったり、ピッチに距離が一番近かったり、という形になるので、ヨーロッパに近いような雰囲気を作ることもできるかなと思います。
—ちなみにですが、吹田スタジアムができたことへのライバル意識はありますか?
赤堀:個人的にはあります(笑)。ユースの時から大阪ダービーは負けられないというか、そういう気持ちがあったので、未だにガンバとやるときは思いますね。スタジアムもファンクラブ会員数も負けているので。
—金谷さんはいかがでしょうか?
金谷:僕は IT の会社をやっているので、スポーツとの組み合わせというのはすごく興味があるんです。まずは駐車がキャッシュレスというのが実現してきている中、いつも来て思うのは、キャッシュレスでできる環境をより広げてってもらいたいなと。あとはスタジアム のビジョンはもちろん、独自のスマホのアプリで試合中にもチャンスのシーンなどがリプレイで流れるみたいなものもあればなと。いずれにせよ、利便性が向上して訪れる人がまた来たい!と思えるようなものになってくれれば嬉しいなと思います。
文=AZrena編集部
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